現在、ChatGPTは医師免許と司法試験に筆記レベルで合格でき、Googleのプログラマー レベルのコーディング技術があるといいます。
一般の大学入試レベルの問題であれば、英語や数学、物理学など自然科学を含め、ほとんど回答できるそうです。また、2025年には物理学、化学、生物学などの博士号を複数持つレベルになる可能性があるそうです。
それを知った時、驚愕したと同時に絶望しました。
普通の人間はChatGPTに勝てないことになります。
現代の賢者となったAIの代表格、ChatGPTに疑問に思ったことを質問してみました。
"質問です。チェスや囲碁、将棋では人間はAIに勝てなくなりました。しかし、たとえば職業として、プロの棋士はいまだに存在しています。人工知能に負けてしまうけれど将棋をする労働者として働いています。一方で、中国では人工知能を搭載したタクシーが登場し、人間のタクシードライバーが人工知能に労働的に負けた結果、失業し始めました。なぜ、プロの棋士は人工知能に負けているのに労働者としてやっていけるのでしょうか?
タクシー運転手はAIに負けたので別の仕事を探しています。"
プロ棋士とタクシードライバーがAIの進化に対して異なる影響を受ける理由は、職業としての「価値」と「需要」が異なるためです。以下の要因が、その違いを生む主な理由です。
1. 娯楽としての価値
プロの棋士は、AIと競うだけでなく、人々に知識と娯楽を提供する役割を持っています。棋士の対局や解説には多くの観客が集まり、その過程を楽しむファンも多いです。また、棋士は人間同士での駆け引きや心理戦に独自の価値があるとされ、それが観戦する魅力の一部になっています。つまり、プロ棋士は「エンターテイナー」や「教育者」としての側面もあり、AIの登場後も価値を持ち続けています。
2. タクシー運転手の代替可能性
タクシードライバーの仕事は「目的地に安全に、効率よく乗客を運ぶ」ことが主な役割です。これは、AIが十分に発達すれば自動運転で代替できるため、人間ドライバーが必ずしも必要とはされなくなってきています。自動運転車は「速さ、正確さ、安全性」の面で人間よりも優れた運転が可能となり、サービスとして成立します。そのため、AIに置き換わりやすく、タクシードライバーが失業する結果につながるのです。
3. 職業としての競技の文化的価値
将棋や囲碁などの伝統的な競技は、文化的・歴史的な価値を持つため、AIが強くなったからといって廃れることはありません。プロ棋士の役割は、AIに勝つことだけではなく、後進を育てたり、伝統を次世代に伝えたりすることも含まれます。このような役割は、AIには代替できないものです。
4. 観戦と教育のニーズ
プロ棋士には教育者としての側面もあり、彼らの対局は教材としても価値があります。AIには真似できない「人間らしい思考や感情の共有」を、プロ棋士はファンや視聴者と分かち合います。将棋や囲碁の普及活動や解説は、AIではなく人間の棋士だからこそ伝わる魅力があるため、彼らは需要を失いにくいのです。
まとめ
プロ棋士がAIに「負けても」職業としての価値を保てる理由は、彼らが人間としての経験や感情、文化的な価値を提供し続けられるためです。一方、タクシー運転手はサービスの効率性が重要視されるため、AIに置き換わりやすく、競争の性質が異なります。
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「提供している価値が違うから人工知能に負けてもいいんだ。」ということでした。
これからは人間らしい思考や感情の共有、創造性が労働者として必要になってくるようです。
「AIを使った自動運転の方が安い。」だから人間が運転しているタクシーには乗らない。となるのは消費者として理解できます。しかし、「人工知能に負けたから、お前はもうクビだ。」となるのは残酷すぎる気がします。
みなさんはどう思いますか?